大岳山の見える処では
怪力が出たそうな
学生時代、夏休みの宿題と言えば、日野の鉄橋下へ泳ぎに通うことでした。その頃は水もきれいで、水中に立っていると小さな魚が来ては腹や背中をチョンチョンと突いていくものです。また、ゆっくりと潜ってゆくと川底の丸い小石にユラユラと陽の光が揺れ美しい紋様を描き、それが面白くて息が苦しくなるまで見惚れてはガバッとばかり顔を水面に出すのでした。そんな時、青い夏空のむこうにキュー・ピーの顔の様な恰好の山が目をひいた。「アレはなんて名前の山かな?」近くで甲羅を干している人に聞くと「大岳山だよ!」と言う事でした。
今から三百年程むかし、桧原は大岳山の麓に子供のない夫婦が住んでいました。なんとか子宝に恵まれたいと二人は大岳権現様に三七、二十一日の願をかけ、生まれたのが源兵衛です。しかし両親を困らせたのは生来の大力で源坊がしでかす悪戯の数々でした。なにしろ近所の石垣は剥ぐ、植木は根こそぎ、小屋の柱など屋根ごと引きぬく、喧嘩などは五人十人は一度に纏めて面倒見てやろうといった具合です。この頃は何時しか近隣の鼻つまみとなり、だれ言うとなく「鬼源兵衛」と呼ばれる悪童になってしまいました。
こうした並外れのいたずらにお母さんは、思い余って遂に源坊との中を決意し、源坊に一緒に崖から身を投げて死んでくれろと言うのでした。「死んでくれろ」のこの一言が源兵衛を発心させたのでしょう。そんなことがあってからは、心機一転というのか源坊は人が変った如く父親の山仕事を手伝う様になりました。そうなると不思議なもので近所の評判も日を追って「源坊は親孝行だ」「源坊は二十人力の働き者だ」等々と風向きは一変し、「鬼源兵衛」の通称も何時の間にか、大力の孝行息子への愛称と変ったのでした。
さて、この鬼源兵衛が成人してのち、羽村の堰普請に際しては、この怪力にものを言わせて大活躍したのです。何しろ、たすきや鉢巻は手近に生えている青竹を引き抜き、その節々を指でつぶして間に合わせ、二人掛りでヨイショと担ぐ石でも、多摩川の向う岸からこちらまで、名人芸の様な野手よろしくナイス・バックホームしたというから驚きです。
中神さんが描くこの物語を読むたびに、私たちは大岳山と多摩川の清流に引き寄せられます。三百年前、檜原村に生きた源兵衛という人物が「鬼源兵衛」と呼ばれた怪力を発揮できたのは、この地を流れる清冽な源流水があったからではないか——そんな想像から、このビールは生まれました。
「鬼源兵衛の力石(おにげんべいのちからいし)」は、民話の伝説が宿る水と、クラフトビールの技術が出会った一本です。檜原村の自然と物語を、グラスの向こうに感じていただければ幸いです。